端くれファンの書き留め

∞さんのファンの端くれの書き留めです。

視覚的に見た「窮鼠はチーズの夢を見る」感想 ※ネタバレあり

 

f:id:y0shimi8:20200912172756j:plain

視覚的観点から見た「窮鼠はチーズの夢を見る」ネタばれあり感想

 

こんにちは三点倒立ことよしみです。

 

前回、映画「窮鼠はチーズの夢を見る」試写会に参加させていただいた後、ネタバレなしの感想を投稿いたしました。

y0shimi8.hateblo.jp

今回は映画も無事公開されたということでネタバレありの感想を記録に残しておこうと思います。

 

 

試写会で2回、公開後1回の計3回見た後に書いています。

 

私自身の言葉や記憶力の乏しさに関しましては大目に見ていただけると幸いです

また普段映画を全く見ない人間ですのであしからず…

 

よろしければネタバレ無し感想を読んでから読んでいただくとより心境変化がわかるかと思います。

 

 

 

 

■見る人によって感想が変わる映画

 

監督や様々な媒体が「これこそが恋愛映画」と何度も発信している中、試写会で初めて見た私は「恋愛映画というよりコンテンポラリーアートに感じる」と思いました。

 ※参照「窮鼠はチーズの夢を見る」ネタバレなし感想

 

ですが2回目、3回目と見るうちに「あ、本当だ。これって恋愛映画なのか」と思うようになりました。

 

これが「見る人や見るタイミングや見る回数によって変わる感想」なのか。と実感しました。

 

そして窮鼠は本当に見た価値観や人生経験などによって全く異なる感想が生まれる映画なんだと思います。

 

恥ずかしながら私自身がこれまでの人生において恋愛に重きを置いてこなかった人間なので、窮鼠の登場人物たちの誰にも共感できなかったんだな。と改めて感じました。

 

そろそろ仕事が恋人になりそうな私にとっては「なんでだよ!」とか、「社内でそんな雰囲気出して大丈夫!?」「3回目だから良いわけあるかーい!」というツッコミばかりが出てきたので、なんか、ある意味損した気分になりました笑

 

 

■より視覚的観点から見た窮鼠

 

コンテンポラリーアート」と私は捉えたと前記しました。

 

9/12の公開記念舞台挨拶中継で監督が

 

「恋愛映画は軽視されがちなところがある。軽視されがちだから芸術として評価されないことがあるが、この映画は堂々と恋愛映画といえる」

 

的な事をおっしゃっていました。(完全に意訳です)

 

 

多分、私は恋愛経験が乏しいからこそ、より芸術要素を強く感じたんだろうなと思います。

 

「こんなにも人の顔を見続ける映画ってあるのか?」

 

「こんなにも一人一人の目の、瞳の演技印象的な映画ってあるのか?」

 

「全てのモノ、場所、色に意味があるんじゃないか」

 

過去に美術を勉強していた、昔の芸術脳の自分が久々に出てきたように感じました。

 

 その中でも特に「色彩」と「視線」が気になったので続いて書いていきます。

 

 

■色彩の意味

 

8/28の試写会後のトークショーで観客から監督への質問コーナーがありました。

 

他の方がの出勤シーンについて質問された流れで、監督が

「真っ白なスニーカーを恭一に履かせた。一切汚れてないスニーカーだったら面白いよねって衣装さんと話して白スニーカーにした」という答えを聞いたとたんに、

 

ふと、「色」が気になりました。

 

 

知佳子と暮らす家や、知佳子が洋服を買ったお店のシーンは白基調にピンクベージュ。

 

一人暮らしになってからは打ちっぱなしのグレー基調に素材そのままの感じのウッドアイテム。

 

そして今ヶ瀬が訪れるようになると置かれる存在感のあるイエローの灰皿。

 

たまきが訪れはじめると今度はカーテンが青になり、テーブルクロスも青になる。青基調。

ちなみにカウンターキッチン向かいもカウンターテーブル+スツールだったのが、ダイニングテーブルとチェアに変わっている。

 

最後のシーンで恭一はイエローの灰皿を洗い、カウンターでもなく、隠していた棚でもなく、ローテーブルの中央に置く。部屋のどこからでも見れる位置。

今ヶ瀬がいたときに置いてあった場所に。

 

カーテンもベージュに戻り、二人用ダイニングテーブルは青のテーブルクロスどころかテーブルごとなくなって、元のカウンターに。

 

 

そんな「元に戻った」環境の中で爽やかに微笑む恭一にゾッとしました。

 

 

登場人物の一挙手一投足に共感出来なくて、「気になる」なんて思えないほど恋愛や感情がわからなかった私が、どうしても「色」だけが変に気になりました。

 

 

一種の身バレ覚悟ですが、幸いにも直接質問できる機会頂いたので、監督に「色」について尋ねてみました。

 

 

監督の話を要約すると…

 

 

白はやはり知佳子の趣味。

一人暮らしを打ちっぱなしにしたのは「何も無くなった」、「ありのまま」の恭一を表現したかった。

モノトーンの部屋にある色は今ヶ瀬の灰皿(イエロー)とジッポ(ピンク)のみ。

色は今ヶ瀬が持ってくる。

 

部屋の中で灰皿に存在を持たせたかった。

恭一は灰皿ばかり見ていて、

灰皿で今ヶ瀬を感じている。

 

たまきが持ってきた「青」は「水槽」の青。

恭一を閉じ込める水槽。

恭一と今ヶ瀬が海に行ったのは水槽から逃げるため。

水槽の魚は海に入ると死んでしまう。

海に行くのは時代が時代なら一種の心中。

でも二人は海に入ることなく帰ってきた。

 

技術的な面からも、肌色を際立たせるため、フィルターとの相性的に青を選んだ。

 

やはり、色使いには意味があった。

 

 

そんな事をお話し頂きました。

 

 

 

メインビジュアルにも「青」が多いのは、やはり「水槽」なのかもしれないなと…

 

水槽に閉じ込められてるのか、水槽で溺れているのか…

 

 

 

「色」のお話を聞いた上で再度映画館で見たときに、夏生の服の色も最初は緑なのに今ヶ瀬と対峙する頃には青い服に、

たまきも恭一と婚約してからハンバーグを作りに家を訪ねたときにはパステルブルーの服になっていることに気が付きました。

 

後は何かしら事が起きる時は今ヶ瀬や恭一の服が赤基調になったり、信号の色が赤のタイミングから始まったり…赤がポイントなのか?と思うように。

 

赤信号の後に緑に変わると、一つの結論が出るタイミングだったり…

タイ料理屋も、4人で顔を合わせるところと、恭一が今ヶ瀬を呼び出す時は後ろの壁のライトは赤。

夏生と3人のシーンや、たまきに別れを告げるシーンは背景が緑になります。

 

緑の色に関してはまだ自分なりの答えは出ていませんが、印象的だったので記載しておきます。

 

そういえばたまきパパとのシーンも窓から緑がみえていたような…

 

 

 

■視点と目線

 

最初の方に書いたように、本当に「目の演技」が印象に残る映画だと思いました。

 

また、揺れる目線のようにあえてスタンドを使わず手持ちで撮影しているのか、画面が揺ら揺らと揺れているシーンもいくつかありました。

 

きっとここにも共通点があるのでしょうが、まだまだ見切れてないですね…

 

もうひとつ、目線で印象的だったのがたまきと朝を迎えたシーン。

 

たまきがこれまで今ヶ瀬がよく座っていたスツール?に座った時、恭一はそれを見てすぐにベッドに招き入れたけど、スツールからたまきが降りるカットはたまきを追わずにスツールに焦点を当てたまま。

そもそも座っているたまきのカットも画面の中央にスツール。

たまきの顔は画面上部ギリギリ。

 

「あ、今ヶ瀬の定位置に座らせたくなかったのか」

 

と唯一恭一を可愛いと思ってしまったシーンでした。

 

 

それにしても、メインキャスト全員が目がとても印象的だったので、目力とか、目の印象でキャスティングしたのでは?と思うくらいに皆さん素敵でした…

みんないくらでも見ていられる目をしていた…

 

 

■やはり印象的だったラストシーン

 

1回目、「え!?これで終わり!?うそでしょ!?」という衝撃

 

2回目、「なんか、究極的に爽やかだからこその狂気を感じる」

 

からのレンジャーにて大倉さんが

 

「自分が追い詰められた鼠なら、チーズの夢を見ることは悪夢なのかもしれない」

 

という一文をみて、ラストシーンがフラッシュバック。

 

ラスト、恭一はこれまでに見せたことのないような清々しい、幸せそうな顔をして一人ポツンと今ヶ瀬を待つように見えました。

 

チーズ=今ヶ瀬が戻ってくる

 

そんな夢を見始めた恭一の物語がこれから始まると思うと、なんだか手放しで喜べず、心がザワザワとしました。

 

3回目、やはり一種の狂気を感じ取り、勝手に悲しみと辛さを感じました。

 

 

トラウマ的なシーンですが、一番好きなシーンにもなりました。

 

「あの最後のシーンは夜中の3時くらいに限界ギリギリになりながら撮影した」ということを監督が言っていたのですが…

 

言われなければわからないほどの清々しいシーンにやはりぞっとしました…

 

ある意味、だからこその幻想感があったのかもですが…

 

 

 

■徐々にかわいらしく美しく見えてくる二人

 

色々な媒体で大倉さんが成田さんの今ヶ瀬のことを「かわいい」と言っています。

 

確かにめちゃくちゃかわいいんですよ。

かわいすぎて「恭一はこんなかわいい子なのに…!」と恭一にイライラする程でした。

 

でも、話が進んでいくうちに同時に恭一もどんどんかわいく中性的に見えてきました。

 

今日、3回目を見た時、冒頭「あれ、こんなに今ヶ瀬と恭一って男臭かったかな…?」と違和感を覚えました。

 

監督のお話でもありましたが、話が進むにつれ、恭一と過ごすにつれどんどん今ヶ瀬がかわいくなっていくんですが…それは恭一にも言えるなと思いました。

 

成田君が「無意識に中性的になっていった」とおっしゃっていたのですが、恭一も無意識に今ヵ瀬と過ごすうちにどんどん中性的になっていったように見えました。

 

人が人によって無意識に変わっていく様子が美しく描かれている映画でもあるな。と思いました。

 

濡れ場も「ここまでやるか!?」と最初思ったのですが、後半はただただ当たり前で美しいな~と受け入れられるんですよね。

 

そして次見た時の前半にはまた「ここまでやるっけ!?」って驚くんですが…笑

 

一回見た後すぐもう一回見たらまた違った見え方がしそうです。

 

余談ですが、9月12日の舞台挨拶中継で、映画を見終わった後にどんな気分で大倉さんと成田さんを見れば良いのかわからなかったのですが、実際お二人が登壇してしゃべっている姿をみて「あ、大倉さんと成田君だ!」と謎の安心感がありました。

 

映画で見ていた芸術的な美しさとかわいさの2人ではなく、お二人のフラットな姿はそれぞれ別の美しさとかわいらしさだったので、ほんと、演技力というか、豹変力に感動しました。

 

あ、でも本編の中でも乳首あてゲームだけは「あ!素のふたりだ!」と安心感がありましたね笑

あんな感じでした。(どんなかんじ?)

 

 

■まとめられないまとめ

 

だらだらと記録として感想を書いてきましたが、私自身としてはやはり自分自身の恋愛に照らし合わせるというよりは、一部始終を知っている友人から話を聞いて「そんな恋愛をする人たちがいるんだねぇ~大変だねぇ~」みたいな、妙な遠さと近さを感じる映画でした。

 

今のところ3回見ましたが、既に見るたびにちょっとずつ自分の中の感想が変わっていて楽しいです。

 

この後また見返すタイミングによっては感想が違うんだろうな~と感じました。

 

そして回を重ねるごとに「こんなに短かったっけ?」思う不思議な映画でした。

130分って数字で見ると長いはずなのにな…

 

まだ1人でしか咀嚼していないので、後日友人と見に行ったときにまたどんな感想や価値観共有が生まれるのか今から楽しみでなりません。

 

 様々な感想があふれてより映画「窮鼠はチーズの夢を見る」が多くの人に見ていただけるよう願って今回は締めたいと思います!

 

 

つたないだらだらとした感想にお付き合い頂きありがとうございました!